« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008年2月28日 (木)

つぶやき-9:イージス

このところのニュースといえば、イージス艦かロス疑惑。

中国製餃子の農薬混入事件がなんだか影が薄くなってきました。

どれもこれも重要な事件です。

イージス艦の事故で、以前から気になっていたことがありました。

「あたご」の艦長は?

今日の新聞に、ようやく艦長が謝罪に出向いたことがのっていました。

Dsc_0028

船の艦長という人物に直接会ったことはありませんが、過去の映画や小説に、その人物像はたびたび登場します。

強い信念と正義感。沈着冷静な判断力。部下を守り、最後まで船を降りない責任感。

そんなイメージを持っていました。

しかし、昨日の報道で、気になるところがありました。

「全責任は私にある…と、思います。」

「え!」耳を疑いました。

それは最後に付け加えられた「と、思います。」の部分。

艦長は、全責任が自分にあるかどうか確信が無いということです。

日本の防衛の要。最新鋭の戦艦をあずかる人間の判断力、責任感でしょうか。

何故、「全責任は私にあります。」と言い切らなかったのでしょうか。

現在の戦争の危機としてもっとも緊迫しているのは北朝鮮のミサイルです。

2年前のワールドカップ、ブラジル戦のとき、緊急速報で北朝鮮がミサイルを発射したことが流されました。

そうした危機を回避する手段として、イージス艦は、正に日本の盾としてあるものです。

最高の性能、そして格段の攻撃力。

少ない情報の中で的確に判断して指示を出す。

その責任者が「あたご」の艦長です。

その人間が、船で起こったことに責任があると確信していないということはあってはならないことです。

もし、緊急事態が発生し、艦長がミサイル発射を指示したとき、こんな艦長の判断は信じられないと一瞬でも部下に疑念が発生した場合、それは、この、とてつもなく高価な盾が、単なる鉄のかたまりになってしまいます。

「あやまらない」、「責任をとらない」大人があまりにも増えたような気がします。

そんな、現在の日本が失ったものを明らかにした艦長の発言でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

四国旅行-17:内子の町

松山観光を一通り終えたたわたしたちは、車に戻りました。

そこでハプニング。

車のリヤゲートのロックが掛からないのです。

車が段差を乗り越えるたびに、リヤゲートがバウンドしています。

カーナビでディーラーを見つけ、修理に向かいました。

しかし、正月の5日ということもあり、ディーラーは休み。

仕方なく車をディーラーの駐車場にとめ、自分で修理しようとゲートを覗きこんでいると、休日出勤されていた人が声を掛けてくれました。

事情を話すと、ロックを少々いじり、なんと簡単に復活させてくれました。

お礼を言って出発、時間をそれほどロスしなかったこともあり、予定通り次の町に向かって出発しました。

目的地は内子の町。松山から西へ約35km。

古い町並みや芝居小屋が残っています。

Dsc_0380

これは内子座。

Dsc_0395

こんな街並みが残っています。

松山から山を幾つも越えて来たところですが、商業が盛んだったようです。

Dsc_0403

漆喰で作られた装飾。とても豪華です。

Dsc_0405

商家と思われる大きな屋敷です。

Dsc_0387

通りに面した建具の細工。美しいです。

Dsc_0397

同じく木格子。こうした繊細な木の技術が失われて行く現状は寂しい限りです。

Dsc_0402

壁の漆喰の下端が丸く作られています。

木の扉、漆喰の壁、庇の細工。どれも見事です。

松山の道後温泉本館の屋根を幾重にも重ねる美意識が、この地方のものであることが解りました。

内子は、この街並みを保存し、観光として再生させようと町で頑張っています。

ヨーロッパの街並みの美しさは、古き良きものを活かし、残しているところにあります。

時間が財産なのです。

日本にも、こうした美しい街並みがもっと増えて欲しいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月23日 (土)

四国旅行-16:坂の上の雲ミュージアム

萬翠荘、愚陀仏庵を見学したあと、坂の途中にある「坂の上の雲ミュージアム」を見学しました。

この施設を見学することは、今回の旅の目的である「松山に係わる歴史を感じること」と、「建物を見ること」の両方が含まれた場であることから、期待は大きく膨らみました。

敷地は決して広くなく、表通りからしっかり見える位置でもなく、建物としては決して目立ったものではありません。

入り口を示すゲートから、緩やかに上るスロープを歩いていくと、玄関があります。

Dsc_0357_2

建物は三角形の平面形をしています。

Photo_3

エントランスホールは丁度台形の形をしており、隣接する三角形のホールでは、松山市政の紹介ビデオが流されており、その希薄な空気が、小さな建物の割には広くとられたこのホールを間延びさせていました。

ホールからロビーに入り、壁に沿ってスロープを登って行きます。

Dsc_0367

スロープを上ると係員が展示室の順路を指示してくれます。

展示室を抜けると再びエントランスホールの上に出ます。そうしてぐるぐる廻りながら最上階まで上がって行きます。

そして、最後の展示を見ると、エントランスホールの吹き抜けの真ん中にある階段を下りて最初のホールに戻ります。

Dsc_0362_2

司馬遼太郎氏による「坂の上の雲」は、学校の歴史の授業ではほとんど習うことの無かった、近代日本の初期の時代を描いた歴史小説だと聞いています。

松山の若者達が、この激動の時代の中で、坂の上に太陽ではなく雲を見ていた歴史を描き、日本が国際社会の中で、どのような地位を築いていったかが描かれているはずです。

そうした歴史を正確に知ることで、国際社会の成立を知り、現在のグローバル社会の中で、日本とは何なのか、何を行なわなくてはならないかを考える、この施設でそうしたことに気づかされると思っていました。

しかし、残念ながら、この施設は、わたしに何も伝えてくれませんでした。

展示内容と、展示室の大きさや構成に何の関係性も見出すことも出来ませんでした。

これが、道路特定財源から資金が供出されていることとは関係無いと思いますが、本当に悲しくなりました。

「坂の上の雲」に込めた司馬遼太郎氏の思い。

それをどこにも見つけることが出来なかったのが、とても残念でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月20日 (水)

「ねこ」アルバム-48:ひとり遊び

今年の正月飾りの一つが、風のおもちゃになってしまいました。

赤と白の水引ですが、おもちゃ籠から取り出し、手ではじきながら、部屋の隅まで運んでいきます。

Dsc_0012

そして壁まで行ったところで、手をしゃかしゃか初めます。

Dsc_0013

腰を半分引きながら、さらに手をしゃかしゃか!

Dsc_0014

水引が跳ね上がります。

今度は両手で掴むような仕草。

そんなことを何度も繰り返します。

思ったほど跳ね上がらないのに、体は大きく逃げたり。

Dsc_0015

それを追いかけて跳ねてみたり。

ちょっと腰が引けながら。

風のひとり遊びは続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

四国旅行-15:松山観光-2

松山城観光の後、丘を徒歩で下り、松山城二の丸に向かいました。

Dsc_0322

写真、丘の上に見えるのが松山城天守閣です。

ここは、いわゆる藩運営の実務が行なわれていた場所で、城が戦のための施設で、日常には使用しなかったのに対し、この二の丸には、藩主の家族なども生活していたそうです。

天守閣を日常の生活の場、すなわち家として使った武将としてはは、信長の安土城くらいではないでしょうか。

Dsc_0326

この写真は大井戸。この石段を降りて水を汲んでいたようです。

天守閣、二の丸を観たわたしたちは、県庁の近くまで歩きました。

Dsc_0327

これは県庁舎。

この建物、映画「世界の中心で愛をさけぶ」のロケが行なわれたらしいです。

香川県庁といい、愛媛県庁といい、映画ロケに関係のある四国です。

県庁、裁判所といった公共施設の脇を入ると、そこに、ちらりと「坂の上の雲ミュージアム」が見えました。

Dsc_0329

しかし、その前に、「萬翠荘」、「愚陀仏庵」を訪ねます。

Dsc_0336

「萬翠荘」は愛媛県美術館分館ですが、県庁と同じく建築家木子七郎によるもので、大正11年に完成した洋館です。

Dsc_0341

玄関を入ると、大階段が迎えてくれます。

Dsc_0342 Dsc_0343

白を基調とした部屋、濃い茶色を基調とした部屋があり、当時の優雅な生活が偲ばれます。

Dsc_0348

「萬翠荘」の裏の丘を少し上ると、そこに、「愚陀仏庵」があります。

Dsc_0350

この建物は、市内から移築されたもので、明治28年、松山中学校の英語教師として赴任した夏目漱石が下宿していました。

漱石は、自らを愚陀仏と号し、その住処を「愚陀仏庵」と名付けました。

そして、その年の8月から10月の間、漱石は、この建物で正岡子規と同居していたそうです。

正岡子規と夏目漱石。

この二人が、この建物で生活し、何を見、何を語っていたのでしょうか。

そんなに大昔でもないのに、とても遠い時代の出来事のように感じながら、「愚陀仏庵」をあとにしました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

四国旅行-14:松山観光

道後温泉を満喫した翌日は、朝から松山市内を観光しました。

司馬遼太郎の歴史小説、「坂の上の雲」が、2009年から3年をかけてNHKでドラマ化されますが、その主人公の多くが、この松山に関係しています。

司馬遼太郎に魅せられた友人のMが、この松山に来たいと言い出したことがこの旅の始まりであることから、この町を見て歩くことが、この旅の目的でもあります。

Dsc_0293

宿を出発したわたしたちは、再び、道後温泉を通りました。

暗くてよく解らなかったのですが、日の下で全景を眺めると、実に素晴らしい木造建築であることがわかります。

くれぐれも火災で焼失しないことを望みます。

Dsc_0297

これは路面電車の道後温泉駅です。

Dsc_0299

路面電車が走る町が少なくなりましたが、この町では健在です。

Dsc_0302

道路で見つけたマンホール。

「温泉」と書かれています。

道後公園、子規記念博物館周辺を散策した後、ホテルに戻り、車を松山城周辺に留め、ロープーウェイで松山城に向かいました。

Dsc_0314

松山城は、今では12箇所しか現存しない江戸時代以前に建造された天守を持つ城郭の一つだそうです。

日本の城の多くが、コンクリート等で再築されていますが、この城は木造で残されています。

Dsc_0316

天守閣に至る経路は複雑で、城を攻めるものは、壁の穴から弓矢や鉄砲で狙われ、石積の上から石が落ちてくる中を進むようになっています。

Dsc_0318

城は、戦専用の施設ではあっても、単なる機能的なものだけで出来ておらず、黒い焼板の壁と白い漆喰の対比が美しく、何とも日本的な感じがします。

Dsc_0320

上る人と下る人が譲り合いながらの急で狭い階段をいくつも上り、天守閣の最上階に着きました。

そこからは松山の町が見下ろせます。

この町で、多くの志士達が、新しい国造りに思いを馳せていた時代に思いを巡らせると、町の風景も違って見えてきます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

四国旅行-13:道後温泉

香川から愛媛に入ったわれわれは、日も暮れたころ松山に到着しました。

松山は思ったより大きな町で、道後温泉のイメージしかなかったわたしたちは、その町の大きさに驚きました。

いよいよ、旅の最大の目的である道後温泉に到着しました。

宿はメルパルク松山。

旧郵便貯金の施設です。建物はリニューアルされ、道後温泉からも近く、設備も良く、お徳な宿でした。

フロントでは、道後温泉本館に行くための、タオル等を入れる手さげ籠を貸してくれました。

Dsc_0275

道後温泉本館です。

木造の豪華、そして大きな建物です。

映画「千と千尋の神隠し」のモデルと言われています。

確かに、木造建築でこれだけ様式が混在し、豪華でモダンな感じは、間違いなく映画の湯殿に関係していると思いました。

Dsc_0271_2

映画の影響もあり、この建物の中に幾つものお風呂があるのかと思っていましたが、実は2つしかありませんでした。

「神の湯」と「霊の湯」です。

「神の湯」の入浴400円、「神の湯」+二階席800円

「霊の湯」+二階席1200円、「霊の湯」+三階個室1500円です。

入り口で1200円のチケットを購入して建物に入りました。

案内に従い2階へ。和室の広間には衣服を入れる籠があり、上着などをそこに入れ、貴重品を預け、浴衣、タオル等を持って下階に降ります。

「霊の湯」に入浴。

値段が高いだけあって、浴室は狭いのですが、人数もそれほど多くはありません。

Dsc_0295

この写真は、移築されたものですが、これが湯釜です。

ここから温泉が出ています。

ただし、内部は改修されており、清潔な感じはありましたが、建物の雰囲気からイメージしていた時間の重みのようなものは希薄な感じがしました。

続いて「神の湯」にも入浴。

こちらは広いお風呂で、400円の入浴料は東京の銭湯と同じ値段ですから、観光客以外にも入りに来る人もいるのではないでしょうか。

お風呂を出て、浴衣を着て二階に戻ります。

お茶とお菓子をいただき、しばしのんびり。

実はこの二階席、男女の別、仕切りもありません。

下着の上に浴衣の我々は、ここで着替えて良いのかしばし困惑。

周りの状況を確認して着替えました。

その後、1200円のセットに含まれているお茶とせんべいをいただき、天皇陛下が入浴されたお風呂を見学し、道後温泉本館の体験は終了しました。

その後、夕食をかねてビールを飲める店を探しました。

温泉の前がみやげ物街になっていましたが、その周辺に、それらしい店を見つけることが出来ませんでした。

結局、温泉の目の前にある麦酒館に入りました。

Dsc_0267

温泉、ビールを満喫。

店が閉まるまで語り合った夜となりました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

「ねこ」アルバム-47:暖かい昼間

今日は久しぶりに暖かい一日となりました。

こんな天気の良い昼時、風はいつもダイニングのテーブルに居ます。

000

ついつい手を出して、かまってしまいます。

00

お気に入りの椅子のくびれから、手を出したり鼻をのぞかせたり。

0000

つるつるすべる椅子の上で、くねくね動きます。

そんな風の、手の先が白くなっているところが、わたしたちのお気に入りです。

午後になると、今度はクッションのある隣の椅子に移動し、陽が陰るまで寝てすごします。

それが、こんな暖かい一日の風の過ごし方です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

生活スケッチ-58:ポテトチップスチョコレート

昨年11月、「笑っていいとも!」で紹介され、ちょっと人気になったポテトチップスチョコレートを入手しました。

噂には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。

Dsc_0014

北海道限定ということで、一般には売っていないようですが、企画販売のコーナーで見つけました。

Dsc_0018

中身は名前のとおり、ポテトチップスの表面にチョコレートがコーティングされたものです。

「本当に旨いのか?」

「そんなの解かんないよ。。。」

と、疑いながら食べてみたのですが、これが、意外といけます。

Dsc_0017

ちょっと塩味、そしてチョコレート。

ビールに合うとは言えませんが、3時のおやつ、夕食後のおやつ、そんな時に合います。

こればかりは食べないと解りません。

機会がありましたら、是非お試しあれ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

四国旅行-12:光明寺

丸亀市で、猪熊弦一郎美術館を堪能したわれわれは、高松自動車道に乗り、松山に向けて出発しました。

本日最後の見学は、丸亀から松山への道程のほぼ中央、愛媛県西条市です。

いよ西条インターを降りたわれわれ一行は、西条市の東、南岳山光明寺に着きました。

Dsc_0227

時間は4時を廻っており、西日が差し込んでいました。

この旅で、お寺を見学するのは2軒目、これも建築家安藤氏によるものです。

Dsc_0228

門構えは歴史を感じさせる木造の造りですが、本堂は同じ木造でも、ちょっと変わった趣です。

Dsc_0233

コンクリートの壁を超えて内部に入ると、水に浮く本堂が迎えてくれました。

Dsc_0238

木は同じ太さで、同じ間隔で並んでおり、その間にはガラスがはめ込まれています。

Dsc_0241

屋根も同じ寸法の木が並んでいます。

伝統的な木割りとは異なるものですが、木造のイメージを残しながら、新しい木造になっています。

Dsc_0262

四国といえば、雨量が少なく、水は貴重なものだと思っていましたが、お寺の前の水路には、水が豊かに流れていました。

四国の中でも、この辺りは水に恵まれているのかもしれません。

そんな土地柄から、安藤氏は水に浮んだ本堂を設計したのでしょう。

新しい木造の表現、水面に映りこむ本堂、見ごたえのあるお寺でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

つぶやき-8:雪が降って

昨日の東京は2年ぶりの雪でした。

Dsc_0124

夜中から降り始めた雪は、朝には、あたりを真っ白に覆っていました。

Dsc_0108

この1週間、とても辛い時間が流れました。

でも、今日は太陽が照り、まぶしい一日となりました。

今日からブログを再開することを決めていました。

いつまでも後ろを振り返ってばかりではだめなのです。

これから、また、当たり前のように今日が終わり、明日が来る、そんな日常の時間の流れに戻ることにします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »