旅行・四国旅行

2008年3月26日 (水)

四国旅行-21:最後に大阪

おじさん3人の四国旅行もいよいよ最後の見学となりました。

東大阪にある司馬遼太郎記念館に向かいます。

車は阪神高速を抜け、住宅街を迷い、地元のおばちゃんに場所を確認して、ようやく到着することが出来ました。

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住宅街の中に建つこの建物は、地元のボランティアと思われる人達の協力で運営されている様子で、司馬氏がいかに地元に愛されていたかが解ります。

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敷地の中には氏の書斎が残されており、めがねやペンがそのまま残されていました。

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氏の書斎を抜けると、これが新しい建物のエントランスになります。

曲面の廊下を進むと、エントランスホールがあります。

ホールには階段があり、階段の正面からは、繊細なステンドグラスを通して光が入ってきます。

その階段を降りると、壁一面が本で埋め尽くされた展示室に入ります。

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内部の撮影は出来なかったので、パンフレットになりますが、2層分の天井高さの展示室の壁全面が書棚になっています。

壁の前に立ち、展示されている本を見ます。

本のタイトルが目に入り、中身をイメージします。

本のタイトルを追って、少しずつ上に目を走らせます。

視界に入ってくる本のタイトルが増え、タイトルが判別できないほど上を見上げると、その視界には、何百、何千という本が目に飛び込んできます。

その体験は、正に、司馬氏の脳を見てるようで、感激しました。

この展示空間自体が、氏を表し、氏のイメージそのものになっていました。

展示内容と空間が見事にマッチした、素晴らしい建物でした。

建物を見終わって、皆の一致した感想は、この施設の素晴らしさでした。

今回の旅では、多くの建物を見ました。

特に、現代の日本を代表する世界的建築家、安藤忠雄氏の建物を多く見ました。

その中で、淡路島で訪問した本福寺と、司馬遼太郎記念館では、素晴らしい体験をすることが出来ました。

今回の旅は、道後温泉と松山。松山→坂の上の雲→司馬遼太郎のコンセプトがありました。

しかし、松山の坂の上の雲ミュージアムと、司馬遼太郎記念館では、伝わってくるものに明らかな差がありました。

坂の上の雲ミュージアムが道路特定財源で出来ているからとは思いませんが、司馬記念館は、展示と空間が見事に融合し、建物に対する愛情が、施設の人達から伝わってきました。

やはり建築は、そこで生活する人やその中身によって、これほどまでに変わってしまうものであることが解りました。

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2008年3月19日 (水)

四国旅行-20:神戸

宝塚で教会を観たわれわれは、続いて芦屋に向かいました。

明治村にある旧帝国ホテルを設計したF.L.ライトによる旧山邑邸を見学するためです。

日本に現存するライト氏の建物は、この他には東京目白の自由学園、世田谷にある旧林愛作邸(非公開)しかありません。

山邑邸は、現在はヨドコウという鋼板メーカーの迎賓館として公開されています。

神戸の地震の時にはかなりの被害を受けたそうで、復旧には相当の費用が必要だったようです。

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建物は芦屋川沿いの丘の中腹に建っていました。

駐車場からアプローチすると、木々の間に玄関が見えました。

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内部は撮影禁止でしたが、テラスからダイニングを見た部分です。

石に細かな彫刻を施した装飾があり、その幾何学的模様が、独特の世界を作っています。

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一通り観たあと、今度はゲストになったつもりで、再び玄関から階段を登り、和室を通過し、ダイニングまで歩いてみました。

小さな建物ではありましたが、廊下や階段の角を曲がる度に、計算された、かつ、自然な風景が広がり、とても新鮮な発見がありました。

F.L.ライトは、20世紀初頭に活躍した世界を代表する建築家の一人ですが、今の時代にも驚きと新鮮さを与える、素晴らしい建物でした。

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氏のデザインした照明器具です。

ヤマギワというメーカーから氏の照明器具が発売されていますが、注意していると、テレビCMやドラマセット等で見かけることがあります。

1世紀を超えて生き残るデザイン。

納得させられた旧山邑邸の訪問となりました。

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2008年3月15日 (土)

四国旅行-19:姫路から大阪へ

瀬戸内海を渡り、尾道から姫路まで走ったわれわれは、その日の夜は早々に就寝しました。
宿泊したのは厚生年金の施設ですが、選んだ理由は料金が安かったからですが、この施設、とても豪華で驚きました。

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しかし、残念ながら、この豪華な施設では寝ただけ。最終日は、東京への約600kmの旅が残っています。

最終日、訪問地は神戸、大阪です。

姫路から中国自動車道を通り、神戸に入りました。

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最初は宝塚で教会を見学しました。

住宅街の中、阪急電鉄の線路脇に、その教会はありました。

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鋭角に立った屋根の頂部に十字架が見えます。

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こうした教会が、ずっと昔からここにあったように馴染んで建っている風景は、意外と東京では見たことがありません。

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その日が日曜日ということもあり、ミサに参加する人達が集まってきました。

建物を見たいことを告げると、同様の見学者がそれなりにいるらしく、普通に招き入れてくれました。

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ざらざらした手触りの曲面にうねった壁と、緩やかな曲面の木の天井で、その教会はできていました。

宗教的荘厳さではなく、生活の中で祈るための空間がそこにあり、とても落ち着いた気持ちになれました。

この建物は、赤坂の迎賓館の改修や、箱根プリンスホテル、甲南女子大学など、日本を代表する数々の名建築を、独自のスタイルで造り続けた建築家、村野藤吾氏によるもので、1966年に建てられました。

氏は、どちらかというと公共施設よりも民間施設を数多く手がけたこともあり、時代の流れと老朽化の問題で、古いものが次々と失われています。

そうした中にあって、この教会は、信者の人達によって、丁寧に、愛着を持って守られている様子でした。

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2008年3月 6日 (木)

四国旅行-18:瀬戸内海を越えて

内子の町を見学したわれわれは、一路、姫路に向かいました。

最終日となる明日には、神戸、大阪での見学があり、その時間をかせぐためにも、出来るだけ神戸に近づいていたいとの思いから、姫路に宿を決めました。

本州から四国に陸路で渡るルートは3つあり、一つは淡路島経由、一つは香川から瀬戸大橋経由、そして、この日のルートである愛媛から岡山に入るルートです。

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このルートは、点在する島々がつながれたルートで、尾道、松山という観光地をつなぐルートにもなっています。

当初の予定では、直島の宿泊も考えていました。

しかし、地中海美術館をはじめ、予定と休館が重なり、仕方なく断念しました。

次回、四国に来ることがあれば、直島には是非行きたいと思っています。

この日の移動は約300km。

瀬戸内海を越えるころには、日が沈み、夜景の行程となりました。

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以前、この橋を造った会社の人に聞いたのですが、この規模の橋になると、地球が丸いことを考慮しないといけないそうです。

橋脚は地面に対して垂直に立てます。そうすると、橋脚の頭から頭までの距離と、道路の高さの橋脚間の距離に差が出るそうです。

地球が丸いため、高い位置にあるほど距離が長くなるためで、土木技術とは、とても壮大だと関心したことがあります。

そうした技術の粋を集めた橋も、国土交通省の利用予測という、極めて作為的な技術資料により、計画決定されています。

この旅の計画を立てる段階で、四国から直島のフェリーを調べました。約1時間弱で連絡しています。

観光で考えればのんびりフェリーも良いものです。

四国と本州をつなぐ橋が本当に3本も必要だったのか、四国の広さ、豊かさを見ると、疑問に思いながら、久しぶりの本州上陸となりました。

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2008年2月25日 (月)

四国旅行-17:内子の町

松山観光を一通り終えたたわたしたちは、車に戻りました。

そこでハプニング。

車のリヤゲートのロックが掛からないのです。

車が段差を乗り越えるたびに、リヤゲートがバウンドしています。

カーナビでディーラーを見つけ、修理に向かいました。

しかし、正月の5日ということもあり、ディーラーは休み。

仕方なく車をディーラーの駐車場にとめ、自分で修理しようとゲートを覗きこんでいると、休日出勤されていた人が声を掛けてくれました。

事情を話すと、ロックを少々いじり、なんと簡単に復活させてくれました。

お礼を言って出発、時間をそれほどロスしなかったこともあり、予定通り次の町に向かって出発しました。

目的地は内子の町。松山から西へ約35km。

古い町並みや芝居小屋が残っています。

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これは内子座。

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こんな街並みが残っています。

松山から山を幾つも越えて来たところですが、商業が盛んだったようです。

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漆喰で作られた装飾。とても豪華です。

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商家と思われる大きな屋敷です。

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通りに面した建具の細工。美しいです。

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同じく木格子。こうした繊細な木の技術が失われて行く現状は寂しい限りです。

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壁の漆喰の下端が丸く作られています。

木の扉、漆喰の壁、庇の細工。どれも見事です。

松山の道後温泉本館の屋根を幾重にも重ねる美意識が、この地方のものであることが解りました。

内子は、この街並みを保存し、観光として再生させようと町で頑張っています。

ヨーロッパの街並みの美しさは、古き良きものを活かし、残しているところにあります。

時間が財産なのです。

日本にも、こうした美しい街並みがもっと増えて欲しいものです。

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2008年2月23日 (土)

四国旅行-16:坂の上の雲ミュージアム

萬翠荘、愚陀仏庵を見学したあと、坂の途中にある「坂の上の雲ミュージアム」を見学しました。

この施設を見学することは、今回の旅の目的である「松山に係わる歴史を感じること」と、「建物を見ること」の両方が含まれた場であることから、期待は大きく膨らみました。

敷地は決して広くなく、表通りからしっかり見える位置でもなく、建物としては決して目立ったものではありません。

入り口を示すゲートから、緩やかに上るスロープを歩いていくと、玄関があります。

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建物は三角形の平面形をしています。

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エントランスホールは丁度台形の形をしており、隣接する三角形のホールでは、松山市政の紹介ビデオが流されており、その希薄な空気が、小さな建物の割には広くとられたこのホールを間延びさせていました。

ホールからロビーに入り、壁に沿ってスロープを登って行きます。

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スロープを上ると係員が展示室の順路を指示してくれます。

展示室を抜けると再びエントランスホールの上に出ます。そうしてぐるぐる廻りながら最上階まで上がって行きます。

そして、最後の展示を見ると、エントランスホールの吹き抜けの真ん中にある階段を下りて最初のホールに戻ります。

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司馬遼太郎氏による「坂の上の雲」は、学校の歴史の授業ではほとんど習うことの無かった、近代日本の初期の時代を描いた歴史小説だと聞いています。

松山の若者達が、この激動の時代の中で、坂の上に太陽ではなく雲を見ていた歴史を描き、日本が国際社会の中で、どのような地位を築いていったかが描かれているはずです。

そうした歴史を正確に知ることで、国際社会の成立を知り、現在のグローバル社会の中で、日本とは何なのか、何を行なわなくてはならないかを考える、この施設でそうしたことに気づかされると思っていました。

しかし、残念ながら、この施設は、わたしに何も伝えてくれませんでした。

展示内容と、展示室の大きさや構成に何の関係性も見出すことも出来ませんでした。

これが、道路特定財源から資金が供出されていることとは関係無いと思いますが、本当に悲しくなりました。

「坂の上の雲」に込めた司馬遼太郎氏の思い。

それをどこにも見つけることが出来なかったのが、とても残念でした。

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2008年2月18日 (月)

四国旅行-15:松山観光-2

松山城観光の後、丘を徒歩で下り、松山城二の丸に向かいました。

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写真、丘の上に見えるのが松山城天守閣です。

ここは、いわゆる藩運営の実務が行なわれていた場所で、城が戦のための施設で、日常には使用しなかったのに対し、この二の丸には、藩主の家族なども生活していたそうです。

天守閣を日常の生活の場、すなわち家として使った武将としてはは、信長の安土城くらいではないでしょうか。

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この写真は大井戸。この石段を降りて水を汲んでいたようです。

天守閣、二の丸を観たわたしたちは、県庁の近くまで歩きました。

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これは県庁舎。

この建物、映画「世界の中心で愛をさけぶ」のロケが行なわれたらしいです。

香川県庁といい、愛媛県庁といい、映画ロケに関係のある四国です。

県庁、裁判所といった公共施設の脇を入ると、そこに、ちらりと「坂の上の雲ミュージアム」が見えました。

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しかし、その前に、「萬翠荘」、「愚陀仏庵」を訪ねます。

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「萬翠荘」は愛媛県美術館分館ですが、県庁と同じく建築家木子七郎によるもので、大正11年に完成した洋館です。

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玄関を入ると、大階段が迎えてくれます。

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白を基調とした部屋、濃い茶色を基調とした部屋があり、当時の優雅な生活が偲ばれます。

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「萬翠荘」の裏の丘を少し上ると、そこに、「愚陀仏庵」があります。

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この建物は、市内から移築されたもので、明治28年、松山中学校の英語教師として赴任した夏目漱石が下宿していました。

漱石は、自らを愚陀仏と号し、その住処を「愚陀仏庵」と名付けました。

そして、その年の8月から10月の間、漱石は、この建物で正岡子規と同居していたそうです。

正岡子規と夏目漱石。

この二人が、この建物で生活し、何を見、何を語っていたのでしょうか。

そんなに大昔でもないのに、とても遠い時代の出来事のように感じながら、「愚陀仏庵」をあとにしました。

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2008年2月16日 (土)

四国旅行-14:松山観光

道後温泉を満喫した翌日は、朝から松山市内を観光しました。

司馬遼太郎の歴史小説、「坂の上の雲」が、2009年から3年をかけてNHKでドラマ化されますが、その主人公の多くが、この松山に関係しています。

司馬遼太郎に魅せられた友人のMが、この松山に来たいと言い出したことがこの旅の始まりであることから、この町を見て歩くことが、この旅の目的でもあります。

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宿を出発したわたしたちは、再び、道後温泉を通りました。

暗くてよく解らなかったのですが、日の下で全景を眺めると、実に素晴らしい木造建築であることがわかります。

くれぐれも火災で焼失しないことを望みます。

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これは路面電車の道後温泉駅です。

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路面電車が走る町が少なくなりましたが、この町では健在です。

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道路で見つけたマンホール。

「温泉」と書かれています。

道後公園、子規記念博物館周辺を散策した後、ホテルに戻り、車を松山城周辺に留め、ロープーウェイで松山城に向かいました。

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松山城は、今では12箇所しか現存しない江戸時代以前に建造された天守を持つ城郭の一つだそうです。

日本の城の多くが、コンクリート等で再築されていますが、この城は木造で残されています。

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天守閣に至る経路は複雑で、城を攻めるものは、壁の穴から弓矢や鉄砲で狙われ、石積の上から石が落ちてくる中を進むようになっています。

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城は、戦専用の施設ではあっても、単なる機能的なものだけで出来ておらず、黒い焼板の壁と白い漆喰の対比が美しく、何とも日本的な感じがします。

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上る人と下る人が譲り合いながらの急で狭い階段をいくつも上り、天守閣の最上階に着きました。

そこからは松山の町が見下ろせます。

この町で、多くの志士達が、新しい国造りに思いを馳せていた時代に思いを巡らせると、町の風景も違って見えてきます。

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2008年2月14日 (木)

四国旅行-13:道後温泉

香川から愛媛に入ったわれわれは、日も暮れたころ松山に到着しました。

松山は思ったより大きな町で、道後温泉のイメージしかなかったわたしたちは、その町の大きさに驚きました。

いよいよ、旅の最大の目的である道後温泉に到着しました。

宿はメルパルク松山。

旧郵便貯金の施設です。建物はリニューアルされ、道後温泉からも近く、設備も良く、お徳な宿でした。

フロントでは、道後温泉本館に行くための、タオル等を入れる手さげ籠を貸してくれました。

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道後温泉本館です。

木造の豪華、そして大きな建物です。

映画「千と千尋の神隠し」のモデルと言われています。

確かに、木造建築でこれだけ様式が混在し、豪華でモダンな感じは、間違いなく映画の湯殿に関係していると思いました。

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映画の影響もあり、この建物の中に幾つものお風呂があるのかと思っていましたが、実は2つしかありませんでした。

「神の湯」と「霊の湯」です。

「神の湯」の入浴400円、「神の湯」+二階席800円

「霊の湯」+二階席1200円、「霊の湯」+三階個室1500円です。

入り口で1200円のチケットを購入して建物に入りました。

案内に従い2階へ。和室の広間には衣服を入れる籠があり、上着などをそこに入れ、貴重品を預け、浴衣、タオル等を持って下階に降ります。

「霊の湯」に入浴。

値段が高いだけあって、浴室は狭いのですが、人数もそれほど多くはありません。

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この写真は、移築されたものですが、これが湯釜です。

ここから温泉が出ています。

ただし、内部は改修されており、清潔な感じはありましたが、建物の雰囲気からイメージしていた時間の重みのようなものは希薄な感じがしました。

続いて「神の湯」にも入浴。

こちらは広いお風呂で、400円の入浴料は東京の銭湯と同じ値段ですから、観光客以外にも入りに来る人もいるのではないでしょうか。

お風呂を出て、浴衣を着て二階に戻ります。

お茶とお菓子をいただき、しばしのんびり。

実はこの二階席、男女の別、仕切りもありません。

下着の上に浴衣の我々は、ここで着替えて良いのかしばし困惑。

周りの状況を確認して着替えました。

その後、1200円のセットに含まれているお茶とせんべいをいただき、天皇陛下が入浴されたお風呂を見学し、道後温泉本館の体験は終了しました。

その後、夕食をかねてビールを飲める店を探しました。

温泉の前がみやげ物街になっていましたが、その周辺に、それらしい店を見つけることが出来ませんでした。

結局、温泉の目の前にある麦酒館に入りました。

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温泉、ビールを満喫。

店が閉まるまで語り合った夜となりました。

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2008年2月 6日 (水)

四国旅行-12:光明寺

丸亀市で、猪熊弦一郎美術館を堪能したわれわれは、高松自動車道に乗り、松山に向けて出発しました。

本日最後の見学は、丸亀から松山への道程のほぼ中央、愛媛県西条市です。

いよ西条インターを降りたわれわれ一行は、西条市の東、南岳山光明寺に着きました。

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時間は4時を廻っており、西日が差し込んでいました。

この旅で、お寺を見学するのは2軒目、これも建築家安藤氏によるものです。

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門構えは歴史を感じさせる木造の造りですが、本堂は同じ木造でも、ちょっと変わった趣です。

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コンクリートの壁を超えて内部に入ると、水に浮く本堂が迎えてくれました。

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木は同じ太さで、同じ間隔で並んでおり、その間にはガラスがはめ込まれています。

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屋根も同じ寸法の木が並んでいます。

伝統的な木割りとは異なるものですが、木造のイメージを残しながら、新しい木造になっています。

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四国といえば、雨量が少なく、水は貴重なものだと思っていましたが、お寺の前の水路には、水が豊かに流れていました。

四国の中でも、この辺りは水に恵まれているのかもしれません。

そんな土地柄から、安藤氏は水に浮んだ本堂を設計したのでしょう。

新しい木造の表現、水面に映りこむ本堂、見ごたえのあるお寺でした。

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